【退位】天皇陛下の勅使が退位報告する神事 伊勢神宮

1 :みつを ★:2019/03/16(土) 03:26:35.57 ID:gfG7QM3E9.net
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190315/k10011849921000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_047

天皇陛下の勅使が退位報告する神事 伊勢神宮
2019年3月15日 19時08分退位・即位

天皇陛下の勅使が三重県伊勢市の伊勢神宮を訪れ、来月末の退位をご祭神に伝える神事が行われました。

15日は来月末の天皇陛下の退位とその日程を報告するため宮内庁から天皇陛下の勅使が三重県伊勢市の伊勢神宮を訪れました。

このうち内宮では供え物を入れたヒノキのひつを携えた勅使に祭主などを加えた合わせて30人ほどの列が正宮を訪れました。そして、供え物を奉納して退位をご祭神に伝える神事が執り行われたということです。伊勢神宮によりますと、退位を伝える神事は過去に執り行われた例がないということです。

神奈川県から参拝に訪れた50代の女性は「陛下が沖縄などへ精力的に訪れていた姿が印象的です。退位がもうすぐということでこれまで本当にお疲れ様でしたと言いたい気持ちでいっぱいです」と話していました。

また、天皇皇后両陛下は伊勢神宮に参拝する儀式に臨むため、来月17日から三重県を訪問されることが15日、正式に発表されました。天皇皇后としては、これが最後の地方訪問になるということです。


112 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:45:02.66 ID:CKITS4I00.net

一昨日たまたま伊勢神宮行ったら見れた

>>2
普通に車
トヨタだったはず
烏帽子と直衣姿で乗っていた

50 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:24:20.13 ID:DOKgMkZF0.net

天照

月読尊

月夜見尊






は 止めろ・・・・・・・・\(^o^)/  日本会議、神社本庁  \(^o^)/

39 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:16:59.71 ID:6SyUzGrM0.net

>>38

伊藤博文は百姓、山県有朋は奉公人の出身と記憶しているが、明治維新の長州閥に限定すれば大規模な身分変動があったことになる
足利尊氏のように賊軍・朝敵になってから政権を奪取したりする例はあるが、百姓・奉公人の血筋からの出世では豊臣秀吉以来と言えるだろう

王政復古・明治維新後には公家や宮家が権勢を振るう可能性があったが、権力を得たのは伊藤博文と山県有朋を筆頭にテロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長のような指折りの危険人物
ぞろいであったため明治天皇や側近・皇族・公家を差し置いて実権を握ったのは長州・薩摩の勢力となった。伊藤博文と山県有朋は天皇親政運動を封殺して天皇から実権を剥奪したが
元田永孚や公家からの圧力を受け教育勅語において妥協をしている

伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ

儒教・朱子学は短期的に社会を安定させる効果と、長期的に停滞をおこし社会を過激な動乱に導く滅びの笛であり、定期的に動乱の渦に国が呑まれていくことになる

https://ja.wikipedia.org/wiki/元田永孚
朱子学的な大義名分論を日本の現実社会に徹底化して、修身と治国の一体化を図ると共に皇室への崇敬を一種の「国教」として確立することを
目指した元田の「政教一致」路線は、教育勅語を通じた天皇制国家の確立によって実現されていく。

55 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:27:30.31 ID:6SyUzGrM0.net

>>54

>北一輝は、日蓮主義者だったんでしょ。

北一輝は戦前の日蓮主義とは距離があるし、石原莞爾ほど低能ではない
印象としては日蓮宗というよりは日本版(劣化)マニ教の信者に見える

北一輝の著作を見ると(社会・共産主義を否定した上での)社会進化論、超人進歩史観に関する論考と、日本人の古代中世儒教土人社会と西洋の人権の対立をどう解消するかの論考が大半を占めるため、
仏・大宇宙・個人融合観、天理教蔑視といった点が日蓮宗要素となるぐらいで、石原莞爾のような霊感商法的なところはない
北のアメリカ(それと南京政府)と組んで、英国の植民地を解放するプランは、石原莞爾のような上位者の意向に合わせるだけの欧州出羽守には発想さえ難しい

そもそも北一輝は天皇機関説側の人間であり、天皇本仏論を信じているとは考え難い。ニ・二六事件の天皇親政はどう考えても明治天皇が乗り出したような親政とは真逆で
天皇に新憲法を入れさせた後は、天皇から権力・余剰財産を剥奪する道筋にしか見えない。これは青年将校にも大なり小なり共通した思想であった可能性はある

初期の北一輝の社会主義というのは、法の下の平等や、誰にでも国民の権利があるから社会主義というトンデモな定義なので、北の思想では明治維新初期も社会主義になる
だから純正社会主義は、どう考えても社会主義ではない。西郷隆盛は北一輝的には社会主義者となってしまう

証明なしで言葉の定義上から自己理論を導出していくのが北一輝に見られる特徴であり、北一輝の趣味である革命研究、それと西郷隆盛の第二革命は掘り下げるが
定量的な政治経済理論には関心があるとは言えず、ある意味日本人らしい儒教土人的理論軽視、エビデンス軽視は北一輝にも見られる

https://ja.wikipedia.org/wiki/磯部浅一
磯部、北らによると、日本は明治維新革命以来「天皇の独裁国家ではなく」「重臣の独裁国家でもなく」「天皇を中心とした近代的民主国」であったのだが、
「今の日本は重臣と財閥の独裁国家」としている。そしてその大義を理解しなかった昭和天皇を獄中から「御叱り申して」いた[5]。
磯部・村中・北・西田は、銃殺時に「天皇陛下万歳」は唱えなかった[6]。

68 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 06:41:53.77 ID:Em8Ccrgp0.net

高齢の陛下の退位は多くの純日本国民が認めるところ。
しかし、入内後貸し切りスキーと創価、実家がらみの
催ししかしてこない自堕落な東宮の嫁雅子をどうするのか
これが最大の課題だ。離婚するか廃妃するかはっきりせい。
障害のある愛子はほとんど不登校。
登校しても健常児と一緒に学習できず別室で授業を受けてる。
給食食べてすぐ帰る。
支援学級に入れないで統合失調症の雅子と一緒に野放図に
遊ばせてるのは「虐待」に当たる。
暴れるのは障害児の特徴。まして母親が統合失調症で暴れ
あたりかまわず物を投げ、一度は皇太子の額にこぶ、絆創膏
まで貼る傷を負わせた。
そんな精神病の母娘を一緒にしておくこと自体狂ってる。
早く療育を。このままじゃいずれ鉄格子に入れなければ
ならなくなる。精神病の雅子に皇后は無理。障害のある
愛子に健常校は無理。いずれも虐待と同じ。

77 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 10:56:14.14 ID:XeG8G8cV0.net

譲位な

43 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:19:29.06 ID:6SyUzGrM0.net

>>42

国学・神道の融合による朱子学化を推進した結果として尊王攘夷運動という時限爆弾が荒れ狂い自滅することになった水戸藩は、
弱小国の分際で世界最強国アメリカに無謀な戦争をしかけた戦前日本に重なる

http s://ja.wikipedia.org/wiki/諸生党
戊辰戦争以後
慶応4年1月(1868年2月)、戊辰戦争が始まると、諸生党に対する追討命令が朝廷から出された。これにより水戸藩に戻った本圀寺党を
はじめとする天狗党の残党と諸生党の間で再度抗争が起こり、今度は賊軍となった諸生党はたちまち勢力を失い、市川らは水戸を脱して
会津へ向かった。武田金次郎ら天狗党が藩内での権力を掌握すると、諸生党やその家族に対して激しい報復が行われ、各地で多くの
諸生党士民が処刑されたり投獄されたりした。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/松山戦争
背景
元治元年12月(1865年1月)に関東を劫掠していた水戸藩天狗党の乱が鎮圧された後、水戸藩の藩政は市川弘美ら
中心とする諸生党が掌握し、水戸に居た天狗党の関係者は諸生党によって次々と処刑された。

ところが翌年将軍徳川家茂が死去すると、翌年には天狗党本隊のうち武田金次郎ら遠島に処される予定であった者共
が赦免され、さらに孝明天皇崩御の後、天狗党と共謀関係にあった長州藩が鳥羽・伏見の戦いで勝利すると、天狗党・本圀寺党
の訴えにより諸生党が一転して朝敵に指定された。

経過
天狗党は翌7日から9日にかけて八日市場近隣の村々に押入って金品を強奪し、各村の名主・組頭を縛り上げて拉致し
身代金550両を奪取した上、銚子など周辺の町を次々と襲撃して略奪を繰り返した後、水戸へと戻っていった。飯高寺
の『向城庵記憶帳』は、この時の有様を「辰年十月中旬、水戸藩士天狗共国元にて戦争の上〜八日市・佐原・銚子・東金
などの町家へ乱荒し必死難渋の沙汰」と記している。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田金次郎
1864年の天狗党の乱には、祖父や父と共に参加する。のちに乱が鎮圧されて祖父など376人が死罪に処せられたが、若年を理由に遠島処分となる。
1866年、金次郎ら110名は小浜藩に預けられ、佐柿(福井県美浜町)の屋敷に収容されて謹慎したものの、准藩士格として厚遇される。1868年、
王政復古によって朝廷から罪を許され、水戸への帰藩を命ぜられた。

帰藩した金次郎らは、朝廷の威光により藩の実権を掌握。通称「さいみ党」と呼ばれた金次郎らは、仇敵であった諸生党残党に復讐をすべく、
白昼堂々に襲撃・暗殺し、藩内を極度の混乱状態に陥れた。

香川が栃木県の塩原温泉を訪れたとき、物乞い同然のみすぼらしい小屋で暮らす、体の不自由な金次郎と出会った。驚き哀れに思い、香川が金銭を渡すと、
金次郎は喜び、ひれ伏したという。このあと、金次郎は水戸に戻され、3か月後に亡くなった。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/武田耕雲斎
家系
武田耕雲斎の家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の傍系である跡部氏の一族であるという。

87 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 17:05:16.28 ID:6SyUzGrM0.net

>>150 >>151 >>152 >>153 >>154 >>155 >>156

https://ja.wikipedia.org/wiki/神産み
第五段の一書(二)では、日月がすでに生まれ、次に蛭児を生んだが、三歳になっても脚が立たなかった。
次に素戔嗚尊を生んだ。天磐櫲樟船を生んだ。すぐにこの船に蛭児を載せて、流れのままに放ち棄てた。

67 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 06:39:17.92 ID:LunBus6L0.net

>>64
宗教施設にアマテラスの子孫が向かうことが宗教でないわけがないし、事実ですよ

9 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:50:15.48 ID:JkTmNpdo0.net

ちょくし!ちょくし!

21 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:48:42.45 ID:r1XYB+kP0.net

>>17
んなこと報告されても伊勢神宮も困るだろう

86 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 17:05:02.97 ID:6SyUzGrM0.net

>>140 >>141 >>142 >>143 >>144 >>145 >>146

日本の神道は自然信仰というよりは氏神などの先祖霊信仰がより強い原始宗教の一例であり中国の儒教に近い

攘夷思想は中華発祥の朱子学由来だが、宋が攘夷に成功したかは歴史を見ればわかるだろう

https: //ja.wikipedia.org/wiki/尊王攘夷

古代中国の春秋時代において、周王朝の天子を尊び、領内へ侵入する夷狄(中華思想における異民族。
ここでは南方の楚を指す。)を打ち払うという意味で、覇者が用いた標語を国学者が輸入して流用したものである。
斉の桓公は周室への礼を失せず、諸侯を一致団結させ、楚に代表される夷狄を討伐した。その後、尊王攘夷
を主に唱えたのは、宋学の儒学者たちであった。周の天子を「王」のモデルとしていたことから、元々「尊王」と書いた。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/天子

王は天(天帝)の子であり天命により天下を治めるとする古代中国の思想を起源とする。周代、周公旦によって
「天帝がその子として王を認め王位は家系によって継承されていく。王家が徳を失えば新たな家系が天命により定まる」
という「天人相関説」が唱えられ、天と君主の関係を表す語として「天子」が用いられるようになったという。秦の始皇帝
により、天下を治める者の呼称が神格化された皇帝へと変わると、天子の称は用いられなくなったが、漢代にいたり儒教精神
の復活をみると、再び天子の称が用いられるようになり、それは皇帝の別名となった。

宋学以前なら神道と儒教は先祖霊信仰において、おおむね重なり、律令制度などによって厳しい身分差別制度も導入される
ただ「先代旧事本紀」などの氏神信仰は皇統の価値を希釈化していく要素もあり、中臣・藤原が天皇の血筋よりも格上と主張することも不可能ではない

https: //ja.wikipedia.org/wiki/氏神
本来の氏神は、古代にその氏人たちだけが祀った神であり、祖先神であることが多かった[1]。
例として、中臣氏は天児屋命、忌部氏は天太玉命を祀った[1]。また、中臣氏と関係の深かっ
た武甕槌命(鹿島神宮)と経津主命(香取神宮)を、藤原氏が春日大社に祀るなど特殊な例もあった[1]。

115 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 06:55:51.57 ID:gYT7Pf6i0.net

天皇家と伊勢神宮は他人なのにね

12 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:05:06.18 ID:ajO0dnXr0.net

過去に前例ないんだろ〜皇室の歴史がまたいちページw

105 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 02:26:08.53 ID:hIOA65HV0.net

イスラム教徒からしたら
これは禁止している偶像崇拝にあたるんじゃないの?
大丈夫?イスラムのテロで天皇陛下が殺されたら自民党はどう対応するの?

15 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:25:24.03 ID:da2C2zHY0.net

歴史は作るもんだよ

42 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:18:50.35 ID:6SyUzGrM0.net

>>41

伊藤博文・山県有朋が明治天皇の親政の希望を断った。プロイセン・ドイツ流の国家主義はカルテル経済のハリボテであったので
両名に対する批判はもっともであるが、伊藤博文が傀儡として天皇を利用しなかったならば国体が廃止されていた可能性は否定できない

明治維新が天皇親政に向かおうとした場合は、薩長や雄藩の軍人による武力行使によって国体(天皇を中心とする国家体制)が消滅していた可能性もゼロではない

https://ja.wikipedia.org/wiki/孝明天皇
その後、幕府・一会桑・薩摩藩・長州藩等の諸藩・公家・志士達の権力を巡る争奪戦に巻き込まれていくと、孝明天皇自身
の権威は低下していくことになった。

1865年(慶応元年)、攘夷運動の最大の要因は孝明天皇の意志にあると見た諸外国は、艦隊を大坂湾に入れて条約の勅許を
天皇に要求したため、天皇も事態の深刻さを悟って条約の勅許を出すこととした。だが、この年には実際には宮中のみに留
まったものの西洋医学の禁止を命じるなど、保守的な姿勢は崩さなかった[注 2]。

このような状況の中で、次第に公武合体の維持を望む天皇の考えに批判的な人々からは、天皇に対する批判が噴出するよう
になる。第二次長州征伐の勅命が下されると、大久保利通は西郷隆盛に宛てた書簡で「非義勅命ハ勅命ニ有ラス候」と公言[5]し、
岩倉具視は「国内諸派の対立の根幹は天皇にある」と暗に示唆して、「孝明天皇が天下に対して謝罪することで信頼回復を果た
し、政治の刷新を行って朝廷の求心力を回復せよ」と記している[6]。こうした中で1866年10月8日(慶応2年8月30日)には、
天皇の方針に反対して追放された公家の復帰を求める廷臣二十二卿列参事件が発生し、その後薩摩藩の要請を受けた内大臣・近衛忠房
が天皇が下した22卿に対する処分の是非を正そうとしたことから、天皇が近衛に対して元服以来の官位昇進の宣下をしたのは
誰か、奏慶(御礼の参内)は何処で行ったのかと糾弾する書簡を突きつけている[7]。

57 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:28:10.81 ID:DOKgMkZF0.net

天照

月読尊

月夜見尊

天明

明照

こんな元号 止めろ。・・・・・・・・・・・・・・・・・狂った 国家神道=日本会議 神社本庁

108 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 13:02:38.80 ID:X7O9M7LM0.net

>>105
八咫鏡だから神の偶像でもなんでもない。

53 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:26:16.60 ID:DOKgMkZF0.net


天明

明照

こんな元号 止めろ。・・・・・・・・・・・・・・・・・狂った 国家神道=日本会議 神社本庁

116 :名無しさん@1周年:2019/03/18(月) 17:55:11.99 ID:bH9cts5e0.net

天コロ死ね

85 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 17:04:51.82 ID:6SyUzGrM0.net

>>130 >>131 >>132 >>133 >>134 >>135 >>136

島国で数千年の世代を重ねた混血によって、イザナギの血筋が攪拌されたと考えるなら、皇位継承権が全ての日本人にあると主張するものも現れるだろう

(神道の教祖である)神武天皇は神から生まれたのに人間とされている

https: //ja.wikipedia.org/wiki/神武天皇
神日本磐余彦天皇(神武天皇)の諱は彦火火出見(ひこほほでみ)。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の四男として庚午年[注釈 1]1月1日(庚辰の日)[1]に日向国で生まれた。
母は海神の娘の玉依姫である。生まれながらにして明達で強い意志を持っており、15歳のとき(甲申年[注釈 2])に太子となった。長じて日向国吾田邑の吾平津媛を妃とし、息子の手研耳命を得た。

問題はこの神から人が生まれるというシステムそのものだ、であればイザナギ神話の大便、小便、嘔吐物から神が生まれ、その子孫がいるであろう可能性も否定できないだろう

https: //ja.wikipedia.org/wiki/イザナギ
岩の向こうからイザナミが「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と言うと[7]、イザナギは「それならば私は産屋を建て、1日1500の子を産ませよう」と言い返した。

その後、イザナギが黄泉国の穢れを落とすために「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」で禊を行なうと様々な神が生まれた。最後に、
左眼からアマテラス(天照大御神)、右眼からツクヨミ(月読命)、鼻からスサノオ(建速須佐之男命)の三貴子が生まれた[8]。イザナギは三貴子
にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。

偽書の可能性も指摘されている「先代旧事本紀」が何を主張したところで、この出産システムだと「鼻くそ」の子孫がいたとしても常軌を逸した説ではない

>左眼からアマテラス(天照大御神)、右眼からツクヨミ(月読命)、鼻からスサノオ(建速須佐之男命)の三貴子が生まれた[8]。

現実世界では顔面部分を洗うと目や鼻から出るのは「目やに」と「鼻くそ」、顔からは「体汗」なのだが、神話だから気にならないというだけで違和感が残る
それが小便で河を作ったというイザナギであれば尚更だ

19 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:35:42.91 ID:dfJoQ9qc0.net

辞める前にどんだけ金使うのやら

40 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:17:17.58 ID:6SyUzGrM0.net

>>39

明治維新の前哨戦において薩摩藩は勅令と軍を使い幕府老中の(殺害)脅迫・強要をして要求をのませたという(文久の変)
さらに小御所会議では優勢な論を展開した山内容堂に対して殺害をほのめかして黙らせた。この当時、勅令・勅書はヤクザ顔負けの強引で理不尽な要求を
押し通すための恐喝・脅迫に使用された小道具だったが、長州は平気で朝敵・賊軍となり戦争を継続し薩摩も裏で強力をしているため勅書など全く意にかいしないものが多くいたということだ

今なら勅書など発行しても銃弾・爆発物で消し飛ぶ、頑張って劣化楠正成を探そうとしても勅書程度に自らの人生を振り回され、生命の危険のリスクをとるのは相当な知恵遅れだけだろう
科学的軍事理論を学んだ連中に勅書などは到底通用する理屈ではなく、血統世襲理論で印象は最悪になるので効果はむしろマイナスとなる

山内容堂や老中の例でも分かる通り武家の名門・門閥一族は自らの命が危機に瀕すると見るや下級武士の脅迫に対してあっけなく屈する腰抜ばかりで、名門の誇りもあったものではない
薩摩藩と長州藩の強さは青白い顔の名門では思いつきさえしない、下級武士ならではの脅迫や暗殺、テロを平気でやってみせる決断力と実行力にあった
つまり薩長の物理的脅迫は現代でも十分に通じる表現方法だということだ

だが薩長の下級武士も道徳面では特権に安住して腐敗しきった公家よりはおそらくマシだった
そして没落する上級武士を横目に下級テロリスト武士が栄達し実権を握ることになる
武士どころか下民出身の伊藤博文と山県有朋が最高指導者に栄達する

https://ja.wikipedia.org/wiki/猪熊事件
公家衆乱行の発覚
左近衛権少将・花山院忠長は、ある時後陽成天皇の寵愛深い広橋局(武家伝奏・大納言広橋兼勝の娘)に懸想した。
そこで宮中深くまで出入りを許されていた歯科医の兼安備後(妹の命婦讃岐も宮中に仕えていた)に仲介を頼んで文通を始め、
それをきっかけとして二人で逢瀬を重ねていた。その話を漏れ聞いた猪熊は、俄然興味を持ち、かねてから懇意の飛鳥井雅賢
をはじめ、言葉巧みに他の公卿・女官をも誘い出し、様々な場所で乱交を重ねることとなった。
しかし、このように大人数の乱行が発覚しないわけはない。飛鳥井には恨みを含む女性がいた

38 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:16:30.51 ID:6SyUzGrM0.net

>>1

明治天皇は儒教的専制君主となるよう積極的に動いていた時期があった(大久保の暗殺後に政治空白が生まれ宮中での天皇親政運動が強まる)
明治天皇とその側近である侍補グループの天皇親政運動は五箇条の御誓文や維新革命後の政治体制に反する存在となった為に伊藤博文が介入した。最終的に軍の支持を受けた伊藤
の封殺案に抵抗する術はなく、侍補は廃された。宮中グループはその後も教学聖旨によって儒教君主化を企んだが伊藤博文はこれも頓挫させた

「〔明治13年〕11月3日(東京)天皇誕生日。この国の人民がその君主に寄せる関心の程度が低い有様をみることは情けない。
警察の力で,家々に国旗を立てさせねばならないのだ。自発的にやるものは、ごく少数だろう」(エルヴィン・フォン・ベルツの日記より)

憲法の制定後は明治天皇の権力はさらに制限され、親政の希望は失われたが、伊藤博文は傀儡となった天皇の権威を最大限利用すべく動き
最終的には西欧におけるキリスト教の役割となることを期待し、操り人形の前提で天皇崇拝を強化した
明治天皇の信任が厚かった宮中グループも、朝鮮朱子学による天皇儒教権威の強化、儒教的・絶対的な天皇中心主義が教育勅語に組み入れられたことで満足(侍補達の権威アップ)し、その後はおとなしくなった

https ://ja.wikipedia.org/wiki/明治天皇
若い頃(とりわけ明治10年代)には、侍補で親政論者である漢学者・元田永孚や佐々木高行の影響を強く受けて、西洋の文物に対しては懐疑的であり、また自身が政局の主導権を掌握しようと積極的であった時期がある。

教育に関しては儒学を基本にすべしとする元田の最大の理解者でもあり、教育行政のトップに田中不二麿や森有礼のような西洋的な教育論者が任命されたことには不快感を抱いていた。特に明治17年(1884年)4月下旬に森が文部省
の顧問として御用掛に任命されることを知ると、「病気」を口実に伊藤(宮内卿兼務)ら政府高官との面会を一切拒絶し、6月25日まで2か月近くも公務を放棄して引籠もって承認を遅らせている。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/機務六条
宮中側は明治天皇が儒教に基づいた東洋的な専制君主として「天皇親政」を行うべきであると主張し、明治天皇への帝王教育もその路線で行ってきた。これは将来的には天皇を西洋的な立憲君主として近代国家の中枢に据えようとす
る太政官の方針と矛盾したものであった。このため、岩倉や伊藤らは侍補を廃止して親政路線を停止しようと図ったが、明治天皇自身が元田永孚・佐々木高行ら侍補に心を寄せて彼らを私的なブレーンとして遇し、彼らが期待する君主像を実現させようと試みた。

1879年(明治12年)3月10日、明治天皇が「勤倹の聖旨」を公布して政府の財政路線を批判し、続いて元田に「教学聖旨」を執筆させて教育政策を批判した。伊藤らは天皇と宮中側の関係を改めさせようとしたが、急速に立憲制が確立することで
公家出身の門地に依存してきた自分の地位が危うくなることを危惧した三条や岩倉は、元田や佐々木らの宮中側勢力を完全に抑えることには消極的で、大隈財政末期の外債発行問題などでは宮中側と連携して太政官側を動かそうとする動きも見せたのである。

https ://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤博文
お雇い外国人であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツは『ベルツの日記』の中で、伊藤が会議の席上、半ば有栖川宮威仁親王の方を向き、「皇太子に生まれるのは、全く不運なことだ。
生まれるが早いか、到るところで礼式の鎖にしばられ、大きくなれば、側近者の吹く笛に踊らされねばならない」と言いながら、操り人形を糸で踊らせるような身振りをして見せたことを紹介している。

31 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:09:31.79 ID:6SyUzGrM0.net

>>1

https ://ja.wikipedia.org/wiki/一霊四魂
一霊四魂(いちれいしこん)とは、人の霊魂は天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つ、という、
幕末の神道家の本田親徳によって成立した本田霊学の特殊な霊魂観である。

「一霊四魂」という概念は本田以前には一切文献にはなく、本田独自の霊魂観であるが、
これには西洋のスピリチュアリズムの影響が伺える。 また、本田の弟子の長沢雄楯(ながさわ かつたて)
の弟子であった出口王仁三郎は、人間の霊魂だけではなく森羅万象がこの一霊四魂から成り立っていると説いている。

58 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:29:05.87 ID:6SyUzGrM0.net

>>56

強気だった山内容堂や老中も身の危険を感じるや服従したため、孝明天皇コースの確率はほぼゼロと見て良い
ようは薩長のように覚悟を見せれるかがクーデターの鍵と言える

長州や薩摩ならこれぐらいは平気でやるだろう
つまり薩長・足利尊氏ほどリアリズムに徹しきれない時点で敗北は確定していたということだ

長州や過去の幕府の例でいえば朝敵・賊軍になった方がクーデター側が一致団結しやすいのだから、皇居に対しての攻撃を躊躇すべき合理的理由が見つからない
皇居の電気・電話を遮断し、水道さえも止めて外部から隔絶させれば、天皇が偶然に砲撃で死んでも外からは分からない
近衛兵や侍従が狂って天皇を殺したことにして、傀儡にできる若年の新天皇を即位させてもクーデターは成功する

明治維新の教訓を全く踏襲しなかったのが、二・二六事件だと言って良い

102 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 22:32:00.74 ID:6SyUzGrM0.net

https://ja.wikipedia.org/wiki/藤原惟通
惟通が没した後も、彼の母(式部の継母にあたる)と妻子は帰京せずに常陸国にとどまった。これは常陸に惟通とその一族が
所有する荘園があったことを意味している。惟通が没した年の寛仁4年(1020年)閏12月26日、惟通の未亡人が平為幹に強姦
されるという事件が起こった。惟通の母の訴えにより、為幹は逮捕されて身柄を拘束されたが、翌年には赦免されている。

3 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:33:02.16 ID:NzSf1NQ10.net

神の国なんだ

8 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:48:39.71 ID:14BqkggE0.net

譲位だろ

33 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:09:57.89 ID:6SyUzGrM0.net

>>27 >>28 >>29 >>30 >>31

https://ja.wikipedia.org/wiki/復古神道

平田篤胤は本居宣長の書に啓発され、古代史を明らかにし、皇道の正当性を天下に示すなど、
復古神道の形成に大きな役割を果たした。また、幽冥界・霊魂など、霊界に関わる研究で著名
な成果をあげ、法華宗や密教、キリスト教、道教などの他宗教を参照した「平田派国学」を大成さ
せた[8]。この平田派国学の流れから後に、本田親徳、川面凡児その他の、「古神道系」宗教家が多く誕生してくる。

その後、明治になると、明治政府に入った平田派国学者らは、神仏分離と神道国教化を推進した[9]。
また、同じ明治の本田親徳や、本田の弟子の長沢雄楯、またその系譜に連なる出口王仁三郎らは、人間の
心は根源神の分霊である「直霊」(なおひ)が「荒魂」、「和魂」、「奇魂」、「幸魂」の4つの魂を統御
するという日本古来の「一霊四魂」説を体系化した。[10]

69 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 06:53:23.84 ID:Em8Ccrgp0.net

1月
平成31年1月01日(火) 新年祝賀の儀 各国の外交使節団の長等(宮殿) ー雅子欠席
平成31年1月01日(火) 歳旦祭の儀(三殿賢所) ー雅子欠席
平成31年1月03日(木) 元始祭の儀(宮中三殿) ー雅子欠席
平成31年1月11日(金) 講書始の儀(宮殿) ー雅子欠席
平成31年1月11日(金) ご会釈(勤労奉仕団)(東宮御所) ー雅子欠席
平成31年1月16日(水) 歌会始の儀(宮殿)ー雅子欠席
平成31年1月17日(木) ご接見(外国大使(イスラエル,アイスランド,リトアニア,ウズベキスタン,ロシア,モルディブ))(東宮御所)ー雅子欠席
平成31年1月18日(金) (「フェルメール展」)(上野の森美術館(台東区)) -雅子欠席
平成31年1月22日(火) ご会釈(勤労奉仕団)(東宮御所) ー雅子欠席
平成31年1月24日(木) ご会釈(勤労奉仕団)(東宮御所) ー雅子欠席
平成31年1月25日(金) ご接見(明治150年記念「世界青年の船」事業参加青年代表)(東宮御所 ー雅子欠席
平成31年1月29日(火) ご接見(離任マリ大使)(東宮御所)ー雅子欠席
平成31年1月29日(火) ご会釈(勤労奉仕団)(東宮御所) ー雅子欠席
平成31年1月30日(水) 孝明天皇例祭の儀(皇霊殿) ー雅子欠席
平成31年1月31日(木) ご接見(外国大使(イラク,マダガスカル,モーリタニア,ガーナ,ニカラグア,レソト))(東宮御所) ー雅子欠席
平成31年1月31日(木) ご会釈(勤労奉仕団)(東宮御所) ー雅子欠席

10 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:52:33.56 ID:OThPPVV+0.net

みんなやるの初めてだから間違っててもそのままスルーなんだろうな

41 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:17:57.48 ID:6SyUzGrM0.net

>>40

天皇親政運動を明治天皇の意向を受けて主導した元田永孚による朝鮮朱子学から生まれた国学を用いた天皇儒教権威の強化によって、
戦前は神風神話・神明に加護された神州不滅思想のような神話が生まれた

結果として無様な敗戦をきっする前までは天皇になにか超人的な力(超能力や霊力)があると期待していた宗教的風潮があったと見られるが、戦後に神国神話は
敗戦という現実によって粉砕されごく一部の狂人しか信じるものはいない

https://ja.wikipedia.org/wiki/神州不滅
江戸時代
江戸時代末期、藤田東湖は「神州誰君臨、万古仰天皇」と述べ、「支那」は革命を主体とする国家で王朝交代があるので「正気観念」にも変動があるが、
日本は万世一系の皇室を頂いて永遠に変わらないので「正気観念」にも変動が無く、そこに日本民族の特徴があるとした[1]。藤田東湖は「正気」とは
一般的には道義、特殊的には忠義であるし、更に「正気」の粋を集めた「神国日本」のその皇風が世界に広がり、皇室の御聖徳は太陽にも等しい、とした[1]。
藤田東湖の「正気歌」は吉田松陰や、明治の広瀬武夫にも影響を与えた[1]。平田篤胤の思想と、この水戸学の勤皇思想が混ざり、幕末に「神州不滅」の思想
が巻き起こった[2]。

明治以降
大日本帝国憲法では、日本は万世一系の天皇が統治し、天皇は神聖と明記された。

昭和および太平洋戦争終結時迄は、軍部によって「神国日本」「神州不滅」など、民族主義、精神主義、宗教などの傾向を持つスローガンが広く使用された。
また「神州不滅」の理由として、日本は神国であるから国家の危機の場合には元寇と同様に神風が吹く、とも説明され、神風特別攻撃隊も組織された。

20 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:37:25.34 ID:+l1VvMRg0.net

勅使門とかあるからなー(´・ω・)

22 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 04:49:05.41 ID:3OVfFA+X0.net

>>2
新幹線と名鉄とハイヤー

48 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:22:46.40 ID:6SyUzGrM0.net

>>46

なぜ水戸藩だけが戦前日本の集団中庸パニック症候群に酷似した状況に陥ったかだが、幕府に近い大藩というだけでなく名門中の名門、
門閥の血筋の藩主と藩士達が主導する正統学問の中心という自負と特権意識による藩内序列、血統序列のマウンティング抗争が勃発したからだろう
その根本原因は朝鮮朱子学が(儒教的祖霊信仰・始祖信仰の)神道と結び合わさったのが原因と推定できる

伊藤博文、山県有朋は名門どころか社会の底辺出身であり朱子学の身分差別からは這い上がるべきでない下民であったし、さらに賊軍・朝敵になった後は初期の(上級武士による)朱子学色は払拭され陽明学ないし西洋的リアリズムで
軍事クーデターによって国体も含めて政権をひっくり返すという意識が芽生えたわけであり、尊皇攘夷もあっさり捨て、政権奪取後の天皇親政運動も封殺した

薩摩も逆賊・朝敵である長州と同盟をする点において大義名分からかけ離れ、幕府を滅ぼすことに熱中し、王政復古より幕府の滅亡を優先し政治的協議でなくリスクの高い内戦を選んだ

福沢諭吉「我が国の人民は,数百年の間,天子あるを知らず、唯これを口碑に伝ふるのみ。維新の一挙以て政治の体裁は数百年の古に復したりと称すと雖も、王室と人民との間に至密の交情あるに非ず」

維新以前は天子の認知度は低かったが、廃藩置県があっさり通った段階で五箇条の御誓文は忘れ去られており、明治天皇と宮中、側近の天皇親政運動(五箇条の御誓文とは全く正反対の儒教原理主義)はその流れを象徴した
現実は伊藤博文と山県有朋は、世襲カリスマである明治天皇の意向をいつでもひっくり返す軍事力を持つだけでなく、国民と皇室が疎遠な事を理解して、大義名分論の天皇親政を退けた現実主義者だったと言える

伊藤や山県の死後、薩長では天皇や側近に薄気味悪さを感じさせる(怯えさせる)ような人材を輩出しておらず、教育勅語で元田永孚(熊本藩の上級武士出身)がしかけた時限爆弾に
よって国論の儒教化・朝鮮朱子学化の圧力が急速に強まっていくことになる。朝鮮朱子学の暴走の歯止めとなっていた明治の元勲が消えたことで、止め金が失われたわけだ

79 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 14:31:32.36 ID:7789hUkg0.net

こんな前例もない神事ってどうやってやるんだろ?

54 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:26:48.66 ID:6SyUzGrM0.net

>>52

吉田松陰が育てた陽明学徒の維新勢力は禁門の変で賊軍・朝敵となり、さらに天皇親政運動を封殺しており、陽明学徒はその時々の情勢に応じて天皇の利用を流動的に使い分ける傾向がある
陽明学は経典を軽視する傾向が顕著なため、これに驚きはない

そのため陽明学徒には経典も含めて外部から見た道徳的な制約は存在しないが、朱子学徒は事実・現実を無視した儒教序列妄想に強烈な執着を持つ
朱子学水戸藩は内紛と内部粛清でぼろぼろになり、儒教道理等には眼中にさえない陽明学徒テロリスト兼反乱軍(元賊軍)・一揆軍部隊長が政権を奪取したのは合理的必然であると言ってよい

https://ja.wikipedia.org/wiki/陽明学
経書の地位低下
心を外的な規範から解放した結果、六経などの経書を尊び学ぶ姿勢が減退していくことになる。王陽明自身は「吾が心に省みて非なれば、孔子の言といえども是とせず」
と言い切ってはいても、未だ経書への姿勢は謙虚さがあった。しかしその弟子、就中高弟と言われる者でも生涯に読んだ経書は四書だけといわれる人が陽明学派から出て
くるようになる。かくして経書はその聖性を減じていき、六経は単なる歴史に過ぎないという解釈が生まれた。これは清代考証学の一派である黄宗羲ら浙東史学から章学誠
を経て、章炳麟へ受け継がれていった。

元田永孚が宮中や教育を朝鮮朱子学で汚染したのに対して、反朱子学である陽明学を学んだ西郷隆盛の西南戦争(第二維新、第二革命と北一輝は名付ける)の例もある

陽明学を学んだ革命愛好家・趣味的革命研究家である北一輝は、明治維新革命の延長(長州は朝敵であったため明治維新と皇道派との整合性はないので延長ではない)
であると皇道派の将軍に売り込むためか、または朱子学的だった世相を考慮して天皇親政を掲げた

一方で窮乏していた貧民層を救うために、明らかに肥大しすぎた皇族資産の凍結・徴収といった皇室・皇族が嫌悪する政策(しかし否定すれば皇族に理は失われる)
を提案しているが、これは皇族サイドの欲やエゴにはマイナス要因としかならず、権力者・序列主義への忠誠が全てに優先される朱子学的思想から逸脱したことで、
信じがたい非礼、として皇族や宮中を激怒させたことは容易に想像できる

天皇親政という朱子学思想(建前)と、弱者救済や改革といった陽明学思想(本音)が混在する倒錯は、賊軍・朝敵となっても力と流血で全てをひっくり返して権力を奪取する(明治維新、足利尊氏等)
という軍事クーデターとの相性は最悪でありニ・二六事件は必然的に失敗した。また北一輝のような目立ちたがりやの革命愛好家・革命オタクが関わり表に出張ると情報が外部に漏れて時宜を見失うことで失敗しやすくなる

63 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:38:11.98 ID:DOKgMkZF0.net

アマテラス
文字って

安倍の 「安」・・・・・・・・・・・・・・・・こんな 元号 止めろ。

国家神道のきちがい集団

日本会議
神社本庁。

6 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:43:18.86 ID:Wy/q8qSF0.net

譲位

36 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:13:03.60 ID:/FYnNgMq0.net

>>17
呪われろよ

104 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 02:23:28.86 ID:yEzHQg5J0.net

公務も祭祀もしないで遊び惚けてばかり。
それを25年間も飼い続けた日本国民。
堪忍袋の緒が切れる。

100 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 17:18:49.29 ID:pXyZbKTb0.net

日本に生まれて日本人として生きてこれて幸せ。韓国人とかが嫉妬するわけだよw

89 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 17:05:42.52 ID:ub4OBlV90.net

>>86
神なんかいねえんだから無駄なことに税金使うな低脳!

91 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 17:05:59.84 ID:6SyUzGrM0.net

>>180 >>181 >>182 >>183 >>184 >>185 >>186

珈琲ねむりや ☕田端のコーヒー豆屋@satojun56
2018年12月16日
nemlogの日本神話記事を更新しました。
今回は美女が大便をしているところに忍び込んで、お尻を突っつく話です。

たぬき@akemixxxxx
2018年11月9日
好きな絵本というか親が私に買い与えた怖くてかっこいい日本神話シリーズの
やまたのおろちとか因幡の白兎などを何回も読んだけどお姉さんの職場に牛の生皮や大便を投げ込んでたあいつ何なんだろうね…

迫真お嬢様部@Yukaribashi
2018年9月8日
神の排泄物が自立してうんぬんって逸話は日本神話あたりにあるだろうし神々も小さい頃はうんこちんこで笑い転げてたんやろな

5 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 03:39:25.74 ID:UDBq4Hf20.net

>>2
牛車

111 :名無しさん@1周年:2019/03/17(日) 22:42:21.94 ID:KbGcOJ2n0.net

勅使といえばすぐに思いつく四字熟語が勅使下向だけど
そりゃまあ勅使は陛下の御許からどっかにいくわけで
どこにいこうと下向になるわけだけど、こういう神宮詣でも下向というのかしらん。
まあ普通に勅使参詣とかそういう言葉を使うのがいいんだろうな

>>107
ごく一部であるが神像っていうのもないではないけどね
なんかモダンアートみたいな感じだよ
似ているものといえばアフリカのテラコッタなんかが近いかな

32 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 05:09:37.20 ID:/o6jHvW+0.net

神事全般映像記録に残してるといいなぁ
全公開は難しいかもしれないけど後学の為にも

83 :名無しさん@1周年:2019/03/16(土) 17:04:24.61 ID:6SyUzGrM0.net

>>110 >>111 >>112 >>113 >>114 >>115 >>116

やなぎ@hanahana182
2014年11月27日
日本書紀の異伝にヨモツシコメに追っかけられたイザナギが逃げるために小便をしたら川になって逃げきれ
たみたいのあってふーん神ってすごいという感想を持ちました

朝里@現代怪異事典&現代妖怪図鑑発売中@asazato4
2013年12月1日
イザナギの小便川化は日本書紀の黄泉国神話で見られるよ。古事記にはないよ。

朝里@現代怪異事典&現代妖怪図鑑発売中@asazato4
2013年12月1日
スサノオは糞撒き散らしてたけど、イザナギも小便で川作ってたところ見ると親子だなあって僕は思うよ。

スサノオの直系子孫がヒメタタライスズヒメとなるらしい

https: //ja.wikipedia.org/wiki/ヒメタタライスズヒメ
ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛[1][注 1])は、『日本書紀』に登場する人物・女神で、初代天皇神武天皇の皇后[13]。
『古事記』のヒメタタライスケヨリヒメ[2](比売多多良伊須気余理比売[注 2])に相当する。

https: //ja.wikipedia.org/wiki/天岩戸
誓約で身の潔白を証明した建速須佐之男命は、高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、
御殿に糞を撒き散らしたりの乱暴を働いた。他の神は天照大神に苦情をいうが、天照大神は「考えがあってのことなのだ」とスサノヲをかばった[1]。

しかし、天照大神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、
驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。

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